駒大苫小牧問題の嫌なかんじ・・・。

“優勝旗返還せず!”
“よかった。よかった。”
“生徒達のケアが必要・・・・”

って、ちょっと待ってください。

「隠した者勝ち!」

ですか・・・・・・。

「生徒は悪くない。」

確かにその通りです。生徒が喫煙した明徳とは違います。
でもネ、その生徒が所属している“組織”の腐敗じゃないですか。
大人達が悪いのは当然ですが、その報いは当然、組織に帰属するものにものでしょう。
優勝旗は返還させるべきです。

社会とはそういうものではないでしょうか?

企業の上層部が犯した過ちの報いを受けるのは、一般の社員ですよ。
雪印、ダイエー、UFJ、西武、カネボウetc・・・・。

数え上げれば枚挙に暇がありません。

「世の中には理不尽なこともある。」

ということを厳然と生徒に示すことも「教育」ではないでしょうか。

今のままだと

「隠蔽してでも結果を出せばいいんだ!」

ということを大人達が肯定し、子供に“教育”していることになると思います。


「まあ、まあ、まだ子供だから・・・・」

という声が聞こえてきそうですが、もう18ですよ。
しかも「暴力指導」なんて今回限りのハズはないじゃないですか。
日常茶飯事ですよ。

皆、認識していたはずですよ。
訴えた父親も生徒も認識していたはずですよ。
自分以外の生徒の似たような状況を。

“暴力は良くない!”ということは簡単です。
でも一見指導のように見える“シゴキ”だって見方を変えれば暴力ですよね。
(受け止め方によてっては)
でも問題になることは稀でしょう。

「お前のような根性無しは辞めてしまえ!」

・・・・・言葉の暴力といえないこともありません。

「体罰的な指導⇔暴力」は受止め方次第の相対的な問題です。
良いほうにも悪いほうにも転ぶものとして是々非々で考えるべきものだと思います。

今回のケースでも「起こった事象」が問題なのではなく、「事実を隠蔽した」ことが問題だと思うんです。

“美しい青春”を標榜した“キレイゴト高野連”や世の中の風潮も問題です。
栄冠が君に輝いた陰には、父兄をも巻きこんだドロドロの人間模様が展開されているのです。
光あるところには常に陰あり、です。
(問題発覚の背景はいつもそんなところが発端でしょう。)

キレイゴトを標榜して、問題発生の度に“右往左往”。

“どこからどこまで報告すべきか?”
“どんなケースで報告すべきか?”

学校側も悩みどころです。

高野連は

①「問題発生に対するルールを決めて励行させる。例外は認めない!」

と毅然とした態度を示すか、

②「問題については個別に徹底調査して、対応を決定する。」

のどちらかをはっきりすべきです。
②は無理でしょう。現実的には。

(問題発生時の)ルールを示して厳格運用すべきですよ。
生徒に対しては“社会にはルールがある”ということをはっきりと示すべきですよ。

大人達は“不祥事なんて起こるのが当然”ということを認識して対応を考えていくべきですよ。

“キレイゴト”で終わっってしまった「駒大苫小牧」問題。
嫌~なかんじです。

※たくさんのお叱りを受けそうですが、ご批判は甘んじて承ります。
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